総主事だより



CLSK便り81号の「ことば」と「曲」は運営委員の小渕春夫さんです。

「静かな力」


 NHKBSでメルケル元ドイツ首相の回顧番組を観ました。政治家への評価は危険が伴いますが、彼女の生き方に感銘を受けました。


 東ドイツで育ち、父親は牧師でした。父が繰り返し娘に教えたのは「勤勉、道徳、質素」でした。


 政治家として彼女を育てた同じ党の恩人で、ドイツの政界の重鎮(元コール首相)の不正を、公の場で断固と批判しました。


「罪を犯した人を中央に置いたままにしてはならない」と。そして国民の多くからの信頼を得ました。


 その後、51歳でドイツ史上初めての女性首相となり、16年間勤めました。


 首相になった後も決して奢らず、プロテスタントの価値観を守り、質素な生活を続けました。


 彼女を支え続けたのは、次の聖句だそうです。


 「立ち返って落ち着いていれば救われ、静かにして信頼すれば力を得る」(イザヤ3015


 英国のブレア元首相はこう語っています。


 「初めて会ったとき、とても良い印象を受けました。これまでの政治家と違い、穏やかで、自己主張せず、静かな威厳を感じました」


 その「静かな力」は、男性中心の政界で発揮されました。激しく反論できたときも、あえて無言で通したことがあります。


  その落ち着き、冷静さは、彼女の政治戦略の一つだったのです。一方、素晴らしいスピーチでも知られています。


 人にはさまざまな性格があり、信仰者の生き方もワンパターンではないでしょう。


   彼女の静かな力は、活発に活動しないわけでも、何も発言しないわけでも、厭世的な生き方を意味するのでもありません。


  時を得たとき、断固と行動し、強い主張もしました。


 簡単に真似はできないですが、静と動を合わせ持つその生き方は、人々に何かを力強く伝えたのではないでしょうか。


「やすかれわがこころ」讃美歌298
https://youtu.be/_zTZKoRwZAo





























総主事だより 3月

アメイジング・グレイス

誰でも一度は聞いたことのある曲ですが、
この歌の歌詞全体を知っている人は少ないかもしれません。
作詞者はジョン・二ュートン(1725-1807 8代将軍吉宗の時代)ですが、
自分自身が経験した神の恵みを証ししています。
彼は6歳で母を亡くし、11歳から貿易船の船長だった父親と船に乗り、
後に奴隷船の船長になりました。
命の危険やさまざまな苦難を経て29歳で船を下りた後、
ジョン・ウェスレーなどの影響を受け、
39歳から82歳で召されるまで40年以上牧師として奉仕しました。
彼は多くの讃美歌を残しましたが、奴隷制の廃止のためにも尽力し、
彼の死の直前にイギリスの奴隷制が廃止されました。
彼の墓碑銘には、自分で書いた次の文章が刻まれています。

   ジョン・ニュートン 聖職者
かつては信仰を否定し、放蕩な生活をした者
また、アフリカでは、奴隷の召使いにもなったが
主イエス・キリストの大きなあわれみによって
救われ、罪ゆるされ、信仰を宣べ伝える者とされた。

全歌詞の意訳をしてみましたので、原詩と共に味わってくだされば幸いです。


アメイジング グレース                          Amazing Grace

驚くばかりの主の恵み 心にしみいるこの言葉      
Amazing grace how sweet the sound
  
こんなにひどい私さえ 救ってくれたこの恵み      That saved a wretch like me,

罪の深みにいた者を  さがし出して下さった      I once was lost but now am found,

見えなかった私の目  見えるように変えられた    Was blind but now I see.

私の心に恐れることを 教えてくれたこの恵み      ‘Twas grace that taught my heart to 

私の心を恐れから 解放してくれたのもこの恵み    fear,  And grace my fears relieved, 

なんと尊いことだろう 私が信じ始めたその時に   
How precious did that grace appear,

私の心に注がれた   驚くばかりの主の恵み      The hour I first believed.

なんと多くの苦しみ危険 罠を通って来たことか   Through many dangers, toils and 

この恵みが今に至るまで 守り導いてくれたのだ    snares I have already come.

やがて天のふるさとに  たどり着くときまでも    ‘
Tis grace hath brought me safe thus 
                                                far,  And grace will lead me home.

主は私に良くしてくださると 約束をして下さった 
The Lord has promised good to me,

主のみ言葉にしっかりと 支えられている私の望み His Word my hope secures,

私のいのちの日の限り 主こそ私を守る盾、    He will my shield and portion be

私を支える拠りどころ              As long as life endures.

確かに この身と心が衰えて           
Yes, when this heart and flesh shall fail, 

いのちの尽きる その日が来るだろう       And mortal life shall cease,

その時私は喜びと 平安に包まれて        I shall possess within the veil,

新しいいのちに生きるだろう           A life of joy and peace.

やがてこの地も 雪のようにとけ去って      
The earth shall soon dissolve like snow

太陽の輝きも暗くなるThe sun forbear to shine,

しかし私をこの世の旅で 伴われたその方が    
But God who called me here below,

とこしえに私の神で いて下さることだろう        Will forever mine.    

ひかり輝く主の国で                              When we’ve been there ten thousand 

一万年を過ごしても、                            years,  Bright shining as the sun. 

ずっと歌ってきた賛め歌を                 We’ve no less days to sing God’s praise

歌い尽くすことはないだろう                      Than when we’d first begun.


























総主事便り 2022年1月



あなたには沈黙こそ讃歌、シオンにいます神よ。(詩篇65:2 岩波訳)

 

鍋谷堯爾(なべたにぎょうじ)師は、著書「詩篇を味わうIIで詩篇65篇の解説をされていますが、


その中で 詩篇65篇は、礼拝のあり方について重要な示唆を与えています。


礼拝は、「沈黙して、神に向かい」「神の御前の静けさ」を体験することが出発点であり、


土台です....クリスチャンにとって主イエスの復活を喜ぶ日は、


まず、神のシャバト「静けさ」と一致することから始まります。


沈黙は、やがて、賛美、祈りにつながってゆきます”と述べておられます。

 

作曲家の新垣壬敏(あらがきつぐとし)氏の著書の一つに「


賛美、それは沈黙のあふれ」と題するものがありますが、


冒頭に上げた詩篇のことばと響き合っているように感じます。

 

また、八木重吉(やぎじゅうきち)さんの詩もおなじく、


沈黙の静けさと賛美の響き合いを心にしみることばで歌っています


 この明るさのなかへ、ひとつの素朴な琴をおけば、

 秋の美しさに耐えかねて、琴はしずかに鳴りいだすだろう

 

主の御前に静まって、深い沈黙から生まれるたましいの賛美をささげる者となりたい。